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大阪高等裁判所 平成2年(う)445号 判決 1993年5月07日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、大阪地方検察庁堺支部検察官検事八木廣二作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人杉谷義文、同杉谷喜代共同作成の「控訴趣意書に対する反論」と題する書面記載のとおりであるから、これらを引用する。

一本件公訴事実の内容

本件公訴事実は「被告人は、かつて同じ手話通訳活動のサークルに所属する会員同士であったA(当時二八年)と交際し、同人との結婚を希望していたものであるが、その後同人から結婚及び交際を拒否され別れることを余儀なくされるや、同人が自己を弄び捨てたものであるなどとして、恨みをいだき、同人の就寝中に同人方に放火して同人を焼死させて殺害しようと決意し、昭和六二年一二月二六日午前一時過ぎころ、大阪府羽曳野市<番地略>○○(鉄筋コンクリート造・陸屋根三階建共同住宅、延面積合計413.16平方メートル、居住者合計一二世帯二一名)一階二号室の同人方北側六畳間において、同人の寝ているベッド付近に散乱している紙等に準備した灯油をまいた後、所携のマッチでこれに点火させて火を放ち、更に、起き上がった同人に向けて、灯油を振りかけた上、火のついた紙を投げつけ、その火を同間の柱等に燃え移らせるとともに、同人の身体に燃え移らせて全身熱傷の傷害を負わせ、よって、同人らが現在し、かつ、現に住居に使用する右○○約三五平方メートルを焼燬するともに、昭和六三年一月一六日午前六時五分ころ、大阪市<番地略>大阪府立病院において、右傷害に基づく敗血症により同人を死亡させて殺害したものである。」というものである。

二原判決の理由の骨子

原判決は、右公訴事実について、被害者が自宅六畳間のベッドにおいて就寝中、何者かによって灯油をかけられて居室に放火され、殺害された事実は明らかであるが、被告人と右犯行を結びつける直接証拠としては、被害者及び被告人の捜査官に対する各供述しか存在しないところ、右各供述はいずれも犯行現場の客観的状況にそぐわず信用性がない。また他の情況証拠からも被告人と本件犯行を結び付けることは困難である、として本件公訴事実の認定については合理的疑いが残るとし、被告人に無罪の宣告をした。

三当裁判所の判断

論旨は、原判決の事実誤認を主張し、原判決の事実認定を詳細に批判するのであるが、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せ検討するに、当裁判所は、以下に説示するように、原判決の事実認定には、その一部に首肯し難い部分があるものの、その基本的な部分はこれを支持することができ、結局原判決には判決に影響を及ぼすべき事実誤認はない、と判断した。

1  本件の争点

控訴趣意は、原判決の判決理由の順序に従って順次その事実認定を論難するのであるが、原審における検察官の冒頭陳述によれば、本件犯行発覚の端緒は、被害者が昭和六二年一二月二六日午前一時過ぎころの被害直後に、被告人が入ってきて火をつけた、との供述をしたことにあると指摘しており、さらに警察及び消防署の現場検証の結果、被害者宅内の寝室六畳間の焼損が最も激しく同所からの出火と考えられたが、同所には煙草、電気系統からの出火を疑わせる痕跡はなく、石油ストーブが無いにもかかわらず、畳上等に灯油臭が非常に強く、灯油用と思われるポリ容器が焼け残っていたことから、灯油を用いた放火の可能性が高いと断定されたため、同日午後九時三〇分被告人を否認のまま通常逮捕し、その三日後の同月二九日に至って被告人がはじめて犯行の概略を認める供述をし、さらにその後詳細な自白を得た、という捜査経緯が関係証拠により明らかであるから、原判決も指摘するように、本件においては、第一に被告人が犯人であるとの被害者の供述の信用性、第二に被告人の自白の信用性、次いで情況証拠の検討の三点が中心点争点とならざるを得ないので、右争点に順次検討を加えることとする。

2  被害者の供述の信用性に関する所論について

(1)  被害者の供述経過とその内容

原審において取り調べた関係各証拠及び当審において取り調べた柏原羽曳野藤井寺消防組合消防本部消防士長村山滋作成の火災原因及び損害調査報告書(以下原因調査報告書という。)によれば、被害者の供述がなされるに至った経緯とその内容は、以下のとおりである。

被害者宅は、コンクリート造三階建アパート○○の一階部分にあり、南側に鉄製ドアを設置した玄関から、北に向かって、おおむね台所、四畳半、二枚の襖をはさんで六畳間と続く細長い構造となっており、奥六畳間の西壁に沿って南北の方向にベッドが置かれていた。

右玄関前の約五メートルほどの通路を挾んで南側に居住する隣人の松村保次は、前記一二月二六日午前一時過ぎころ、夜食をとっていたところ、ウォーッというものすごい叫び声とそれに続いてなにかにぶち当たるようなどんどーんという物音に驚き、窓を開けると、被害者方の玄関脇の窓ガラスが赤く光るのを発見して火災発生を直感し、すぐに消防署への通報(消防署覚知時間同日午前一時一〇分)をするとともに、被害者宅の玄関に駆けつけた。

すると、ちょうどその時着衣がほとんど焼け、裸同然でしかも真っ黒になった被害者が玄関を開けて飛び出し、通路付近をうろうろした後、また被害者宅内に戻り火のついたマットを持って出てきたので、あわててこれを落とさせ、付近にいた妻や管理人の妻にホースで被害者の全身に水道の水をかけるよう指示した。その間被害者は唸るのみであった。

同日午前一時一四分消防車が到着して消火を開始するとともに救急車の出動を要請し、午前一時二三分に救急車が被害者を収容し、午前一時四三分大阪府立病院に搬送した。

医師は、被害者を全身の九三パーセントに熱傷がありそのうち九〇パーセントは熱傷三度という強度で、そのほかに気道熱傷の疑いがあると診断し、種々治療を続けたものの、二二日後の翌昭和六三年一月一六日午前六時五分被害者は、右熱傷に起因する敗血症により死亡した。

この間、被害者はまず救急車に収容される前に、隣家に居住し、同じ手話サークルに所属する田ノ岡千江子から、「どうしてこうなったん」と聞かれて「甲さんが入ってきて火をつけたんや」と答え、救急車の車内で救急隊員から、火災原因を聞かれた際にもやはり同様に答え、救急車に同乗した前記田ノ岡が被告人の氏名住所をメモに記載したので隊員がこれを被害者に示すと、うなづく動作をした、また段ボールのようなもので布団のうえから火をつけられたというような話もした、前記病院に入院してからは、鼻部以外は包帯で全身を巻かれ、鼻部挿管のため発語不能の状態になったものの、意識清明との医師の判断があったため、当日、すなわち昭和六二年一二月二六日及び翌二七日の両日にわたり、警察官による臨床尋問が行われ、その方法は問いに対して、被害者がうなづくまたは首を横に振るという形で答えるものであったが、その内容の要点は、目が覚めた時に六畳間は燃えていた、電気の明りで被告人の顔を見た、油はまかれていない、火のついた段ボールをかぶせられた事実はない、というものであった。

さらに同月二八日には検察官が同様の方法で臨床尋問を行い、その内容をビデオテープに記録したが、その要点は、ベッドに寝ているときに被告人が燃えた紙を被害者にかぶせてきた、油のようなものを身体にまかれたことはない、被告人を見たがつかみあったことはない、というものであった。

(2)  被害者の供述の信用性の検討

所論は、以上のような被害者の供述内容は、被告人が火のついた紙のようなものを寝ている被害者にかぶせるようにしたとの点で一貫性があり、瀕死の被害者がことさら虚偽供述をする動機もないから、その信用性は明らかである、というのである。

なるほど、前記事実経過によれば、被害者は被告人が火をつけたとの供述を一貫してしかも明確に発言あるいは挙動で示している事実は動かし難い、といわなければならない。

しかしながら、原判決認定のとおり、被害者は、昭和六二年ころまで被告人と結婚を前提とした深い交際を続けていたものの、次第に被告人との交際を避けるようになり、昭和六二年末の本件当時は別の婚約者と結婚準備に忙しかった時であったが、他方本件の約二か月前の同年一〇月ころに何者かが被害者宅に侵入し、預金通帳と婚約者が写った写真を盗んだ事実があり、被害者としては、被告人が合鍵を所持していることを考え併せて、被告人のいやがらせ行動があり、本件当時にもなお被告人から強い恨みをかっていると感じていた、と考えるのが自然であるから、被害者にはある種の先入観があった可能性も否定できず、被害者の供述内容中の犯人の特定に関する部分の信用性は特に慎重に検討しなければならない。

イ 灯油の燃焼速度

前認定のように被害者が外に飛び出した時には、その熱傷は強度で衣服がほとんど焼け落ちた状態であり、しかも当初は口も聞けず室内に戻って火のついたマットを持ち出したほど極度に狼狽した状態にあったし、隣人がその直前に被害者宅内で異常な叫び声と物音を聞いたことをも併せ考慮すると、室内に放火された被害者がなんらかの原因により逃げ遅れた、と考えざるを得ない。

もっともガソリンによる放火のように瞬時に引火する場合は逃げ遅れは必然となるが、本件において、灯油が用いられたことは明らかであるから、灯油の燃焼速度をまず検討しなければならない。

この点に関し、原判決は、原審において検察官が証拠として提出した、条件を異にした二回の実験結果、すなわちマッチで畳上の、灯油をかけた新聞紙に点火したところ約四〇秒で着火し、その後約一分五七秒後に最高度に炎上したとの第一実験、コンクリート上の、灯油をかけた新聞紙にマッチで点火したところ約五秒で着火、約二七秒で七〇センチメートルの高さに炎上したとの第二実験のうち、第一実験結果を採用し、灯油の炎上速度が遅いことを前提として、被害者の行動を推測しているのに対し、所論は右実験結果はいずれも現場の正確な状況再現実験ではないから信用性が低いというのである。

そこで所論にかんがみ当審において、消防庁消防研究所企画官佐藤公雄に対し、できるかぎり冬季の六畳和室内に似せた場所において、新聞紙、広告紙等が敷き詰められた畳上に灯油をかけ、マッチの軸木が半分ほど燃えたところで約五センチメートルの高さから落とすという、被告人の自白に忠実な再現実験によってその燃焼速度と燃焼状況の鑑定を依頼したところ、その結果は、マッチを落としてから、一ないし三秒後に着火し、その後数秒間は、新聞紙等に線または面状にひろがり、落下後一〇秒程度で燃焼面は約一〇〇平方センチメートルとなり、その後火災は平面的に拡大し、点火後約二五秒で半畳程度となり、このころから室内には熱気が充満し火災の速度が早くなり、点火後約四〇秒後に燃焼面積は三畳分になり、その後は室内の酸素不足により火災の高さも一メートル以下となり黒煙が充満する、というものであった。

右実験結果は、原審において取り調べた実験結果の報告書に比較して条件、方法において正確性に優れ、当審における鑑定人に対する証人尋問においても実験経過について特に疑問点も見い出せなかったから、右結果は十分信用できると考えられる。

そうすると、所論も指摘するように原判決が事実認定に採用した第一実験の結果は本件現場の忠実な再現とは異なり、当審における前記鑑定結果に照らして不正確といわざるを得ないが、そもそも灯油の燃焼速度は冒頭記載のように被害者の逃げ遅れの原因を検討するための前提事実であるところ、当審における鑑定結果によっても灯油は、本件現場のような状況では、ガソリン等とは異なり瞬時に炎上するものではなく、少なくとも、着火に数秒を要し、その後二五秒前後までは、火勢は比較的弱く、その後一気に拡大する性質があることが認められるから、第一実験の結果を根拠として、以下に当裁判所が説示すると同様の趣旨の事実を認定した原判決はその時間的余裕が長すぎるとはいえ、基本的に誤っているとまでは考えられない。

ロ 被害者が逃げ遅れた原因

前記イで認定したところによれば、犯人が灯油を室内にまいてマッチで点火した場合、仮に被害者が点火後三〇秒経過前に気がついた場合には脱出が一応容易と考えられるところ、被害者は前述のとおり全身及び気道にひどい熱傷を負うまで脱出できなかったのである。

そうすると、仮に被害者の供述が真実であるとした場合、被害者は身体に引火するまで気付かず熟睡中であったため逃げ遅れ、その時に被告人を見たか、それよりも早期に気付いて被告人を目撃したが消火または逮捕に手間取り結局逃げ遅れたと考えるのが合理的である。

しかしながらまず犯人逮捕に着手していたとの可能性は、被害者自身が犯人とつかみあった事実はないと供述しているうえ、同日中に逮捕された被告人の着衣、靴さらに被告人の父から任意提出された被告人が本件当日着用していた可能性のある衣服、靴等(以下一括して被告人の着衣等という。)に対する原審取調済の鑑定結果によれば、被告人の着衣等に損傷や火煙または灰の痕跡はなく、被告人の身体に争ったことを疑わせる傷害の形跡があったとの証拠も全くないのであって、仮に被害者が逃げ遅れるほど犯人と争ったとすれば、被告人の身体、着衣等にその痕跡がないことは不可思議であり、犯人逮捕のため逃げ遅れた可能性は否定せざるを得ない。

所論は、「被害者は途中まで睡眠していたことにより状況判断が不十分であったため、目覚めた際の炎がいまだ小さかったことに気を許し、容易に消火ができるとの誤った判断の下に掛布団で消火活動を行った可能性が高く、その間に着衣に引火したことが状況上合理的に推定される」(控訴趣意書八八頁)と主張するのであるが右可能性も以下の理由により低いといわざるを得ない。

すなわち、原審において取り調べた被害者の焼け残った着衣、ベッド上の一部焼けた敷布団、掛布団に対する大阪府警察本部刑事部科学捜査研究所技術吏員作成の鑑定書によれば、それぞれに強い灯油臭と灯油成分が残っていたことが明らかであり、その分量は布団約一〇〇グラムにつき、掛布団約一五ミリリットル、敷布団約一〇ミリリットルであったし、被害者の燃え残りの衣服からも約一ミリリットルの灯油成分が検出されているから、灯油はかなり大量にベッド上にかけられたため掛布団から被害者の衣服、敷布団に浸透したと考えるのが自然であり、そうすると、本件発生時が冬季の深夜でもあり、身体に灯油が付着した時点で被害者はただちに異常に気付くと考えるのが合理的であるから、寝覚めの場合の意識状態の一時的低下も加わり、火勢が弱いと状況判断を誤り消火活動に一旦従事し、結局逃げ遅れたと考えることも理由のないことではない。

しかしながら室内には、通常、消火に用いると考えられるようなバケツ、ホース等は残っておらず、またカーテン等が散乱するなどの形跡もなく消防署の放水以外に消火活動を疑わせる痕跡がないため、せいぜい所論がいうようにベッド上の掛布団二枚を振り回したり火炎にかぶせる程度の消火活動があった可能性が残るのみである。

しかし、押収してある右掛布団二枚(<押収番号略>)と敷布団(<押収番号略>)の焼損状況をみると、敷布団と掛布団が接していたと認められる部分は双方ともほとんど焼けていないうえ、前記火災原因調査報告書によれば、六畳間西壁面の掛布団と接していた部分の変色が無いと報告されているのであって、そうすると右掛布団は、炎上中にも敷布団の上にそのまま置かれていたと考えるのが合理的であり、所論主張のように被害者がこれを振り回すなどして消火にあたったと推測するには無理があるといわざるを得ない。

所論はまた掛時計が落下している点も掛け布団を振り回すような消火活動があったことをうかがわせるともいうが、右時計は一時二〇分に停止し、時計裏面は焼けていないことが証拠上明らかであるところ、前認定のとおり消火活動が一時一四分に開始された点を考慮すると、右時計は消防隊員による消火活動によって落下したと考えるのが合理的であり、右所論も採用できない。

以上によれば、被害者が消火活動のため逃げ遅れたと考えることは相当とはいえない。

したがって、被害者は犯人から室内及び布団に灯油をまかれ、点火された後、約三〇秒後以降まで気付かず熟睡していたために逃げ遅れて致命的な熱傷を負い、叫び声をあげて逃げまどった可能性が最も高いと考えざるを得ないこととなるが、このような推定は前記原因調査報告書中の「もしAが睡眠中であったならば、火災に気付いたときにすでに部屋内は炎に包まれており逃げる暇もなく熱傷を負ったものと推定される。」との記載に照らしても、動かし難いといわざるを得ない。

ハ 被害者が犯人を目撃できる可能性

前記ロで検討した結果によれば、熟睡中であった被害者は、すでに逃げ遅れともいうほど激しく炎上中の室内で目をさました時点で、被告人を目撃し前記のような供述をしたこととなる。

しかしながら、深夜他人の寝室に侵入し、灯油を室内にまいた放火犯人が放火後その着実な着火を確認するまで滞留するのはともかく、自身の脱出が危険となるような時点まで在室すると考えるのは特段の理由がないかぎり不自然といわざるを得ないうえ、仮にその時点まで被告人が残っていたとすると、前記のような灰煙の痕跡が全くない着衣等の状況とも矛盾すると考えられる。とりわけ前記燃焼速度に関する当審鑑定書添付のビデオテープ及び同鑑定人の証言によれば、着火後約三〇秒後以降の火炎の状態は猛烈であり、その時点においてもなお被告人が同じ六畳間に残留しており、かつ身体、衣服に異常をきたさないとは到底考えられない。

この点について、前記救急隊員の一人である原審証人吉井桂樹も、被害者の熱傷の程度が激しいため「放火されたというても、目の前でつけられていないんじゃないかなと思ってたので、目の前でつけられたんかというふうに聞き返しました。」ときわめて当然ともいえる疑問を感じて質問したが被害者はうなづいた、と供述しているように、現場で被告人を見たという被害者の目撃供述には、被害者の熱傷のひどさ、すなわち逃げ遅れた事実との整合性がなく、信用性を疑わせるといわざるを得ない。

ニ 被害者の供述内容のその他の部分の信用性

前述のように、被害者が起きて火災に気がついたときには、すでに火炎が相当高くあがっていた状態であった可能性があるため、被害者が被告人を見たとの点に疑問が生じるとともに、放火の方法を見ていない可能性が高い。

右見地から、被害者の供述内容をみるに、救急車の中では段ボールのようなもので火をつけられた、と供述し、警察官の質問にはこれを否定し、検察官の質問には再び火のついた紙をかぶせられたと供述しており、内容に変遷が認められる上、なによりも、本件放火の最大の特徴ともいうべき灯油に触れた部分がないのは、決定的に不自然であり、被害者が熟睡中で放火の方法も全く目撃できなかったとの前記推認を裏付けているといわなければならない。

また被害者の供述をいわゆる臨死供述として特別の信用性を認めるべきであるとの所論も採用し難い。

なるほど関係証拠によれば、被害者の熱傷の程度からみて、被害者が供述した時点においてすでに医学的に救命が困難な状態であったと認められるものの、被害者がそのように自覚していたと認めるべき証拠はなく、むしろ被害直後には歩行もでき、会話もかろうじて可能であり、その後の三日間にわたる捜査官の質問にも、その内容を理解して応答していると認められ、その際の状況について、右質問に立ち会った看護婦である原審証人志水菊代は、やけどの患者は一般的に意識ははっきりしており、被害者も自分の意思ははっきりしていた様であった、と供述しているのであって、そうすると被害者の供述時の意識は清明であって、回復への期待を十分有していた可能性があり、いわゆる死期を察知した者の、すべての利害を超越した真摯な供述と同等に評価することは相当とはいえない。

なお原判決は、被害者は、前記六畳間内のベッドの南側に頭を向けて寝ていたから、南側の襖から侵入した犯人を目撃できる可能性は低いと説示しているところ、所論は、右認定は、通常北枕では就寝しない、ベッドの枠の高い南側に頭を向けて寝るのが通常であるというような根拠の無い憶測を前提としており首肯できない、と主張するので検討するに、なるほど司法警察員作成の昭和六三年一月九日付実況見分調書及び前記原因調査報告書によれば、右ベッド北側の下に大量の灯油まみれの枕用そば殼と布製枕の焼け残りが落下していた事実、電気スタンドが北側に置かれていた事実が認められ、そうすると被害者が北枕の状態で寝ていたと考えるのが自然であり、北枕では通常寝ないことなどの証拠に基づかない事実認定を前提とする原判決の認定は是認できないが、右事実誤認は被害者の供述の信用性の基本的部分に対する前記検討結果に何等の影響を及ぼすものではない。

以上によれば、被害者は被告人から日頃怨まれていることを前認定の自室への侵入の事実等から気にしていたため、寝覚めの瞬間でもあり放火と被告人とを直感的に結びつけ、確信したとの合理的疑いを払拭できない、というべきであり、被害者の供述を信用し、被告人を有罪とすべきであるとの所論は採用できない。

3  被告人の捜査段階の自白の信用性に関する所論について

被告人は、逮捕当初と原審及び当審公判廷においては本件公訴事実を否認しているが、捜査段階においては、以下のような自白を内容とする供述をしているので、その信用性を次に検討する。

(1)  被告人の捜査段階の自白内容

被告人は昭和六二年一二月二六日に逮捕されたが、同月二九日に司法警察員清水進に対し、一二月二五日に南河内郡美原町所在の「モン」という店で買ったポリタンクに自宅の灯油を入れ、以前から持っていたA宅の合鍵を使って侵入し、室内に灯油をまいてマッチで放火した、後日詳しく話します、との犯行の概略を認める供述をし、その後またちぐはぐな供述に変わり(被告人の司法巡査に対する昭和六三年一月六日付供述調書二丁表)、昭和六三年一月六日に至って、本当のことを言うとして「灯油を六畳の間の新聞紙や広告紙が敷き詰められた一部にまき、又、畳の上やAさんがもぐって寝ている布団にまでまき、六畳の間のふすまの前でマッチをすり、火をつけマッチの棒が半分位燃えたところで両膝を折り、かがみ込む様にして灯油をまいた際、下に敷かれ灯油がかかっている広告紙の上にマッチを落としました。すると炎が直ぐ膝あたりまであがったので、私はす早く立ち上がりました。炎は灯油をまいた方に広がって行きました。この時、Aさんが上半身だけをおこし私とAさんは顔を見合わせました。それで私はAさんが私を捕まえに来るととっさに思い、そばに置いてあった灯油がまだ底に少しのこっているポリ容器をAさんに投げつけ逃げだしたのです。ポリ容器はフタをしておらず、投げたことにより中に入っていた灯油がAさんにもかかったと思います。」と供述した。

その後、被告人は基本的には右自白を維持し、さらに殺意を持つに至った動機について詳細に供述したが、放火の方法に関しては、司法巡査に対する一月一〇日付供述調書において、灯油は、まずベッドの横からあとずさりしながら畳や畳の上の広告紙にまき、その後襖の前付近から布団をめがけて灯油をかけたが、Aは気付かなかった、マッチ棒が半分位燃えたところで五センチくらいのところから灯油のしみこんだ新聞紙のうえに落とした、するとすぐ炎は膝のあたりまであがった、Aが目をさましたので、捕まると思い約二メートルの距離からポリ容器を投げつけて逃げた、とAが寝ている間に襖の前から布団めがけて灯油をかけたとの新たな供述をしたが、同月一二日、検察官に対し、灯油をベッド横からあとずさりしてまいたあと、マッチで点火した、その後Aが上半身を起こしたのでポリ容器を投げつけて逃げたと、布団に灯油をまいた部分が欠落した供述がなされ、布団に灯油をかけた事実について変遷が生じた。

さらに本件起訴の前日の同月一五日に至って、羽曳野署で行われた検察官の取調べに対して被告人は、犯行再現実験に立ち会って思いだした訂正部分があると前置きして、Aが起きあがった時点で右手に持ったポリ容器の底に左手を添えて、二、三回Aの方角に向けて灯油を振りかけたあとポリ容器を投げつけた、さらに火のついた広告紙を投げつけたような記憶もある、と被害者が目をさました後布団に灯油をかけ、さらに火のついた紙片を投げたという、それまでの自白内容に全く新しい供述をつけ加えた。

(2)  自白内容の特徴

前記のとおり被告人の自白は、灯油を用いた放火殺人との点で大筋で一貫しているとはいえるものの、その具体的方法には看過できない変遷が認められる。

すなわち、前述のように被害者宅の畳のみならず、掛布団、着衣、敷布団にも相当量の灯油がかけられていたのであるから、当然被害者が途中で目をさます危険を考慮せざるを得ず、そうすると被害者が被告人を逮捕しようとしたり、火を消したりして犯行が未遂に終わる蓋然性が高くなり、それをどう回避したかの説明が必要となるし、逆に被害者が熟睡していたとすれば、被害者の目撃供述と矛盾することとなるから、灯油をどのように布団にかけたかの部分の供述は、本件の成否を決定するほどの重要性があるというべきである。

ところが、肝心のこの点について被告人の自白はまさに二転三転しており、熟睡中にそっとかけたような供述、熟睡中の被害者のベットにむけて襖の前からふりかけたとの供述、さらに布団にかけたことがなくポリ容器を投げつけたのみであるとの供述、最後に被害者が目を覚ました後に、ポリ容器から二、三回振りかけさらに投げつけたとの供述に変わっているのである。

しかしながら、正直に話すと前置きした一月六日以降の供述がこのように変遷するのは甚だ不自然といわざるを得ない。

ことに前科前歴の全く無い被告人が深夜単身被害者宅に侵入したとすると、灯油を被害者の布団にかけた行為は、極度の緊張感をともなうものであったと考えるのが自然であり、記憶が薄れるとか間違えるということは到底考えられないといわなければならない。

しかも二転三転した後、最終的に被告人が自白した方法は、被害者が寝ている間は布団にはかけず、点火が終わった後被害者が起き出してから逮捕を免れるためあわてて振りかけた、というのであって、被害者が灯油の冷気に気付いて途中で起き出したりする危険と布団に対する灯油の浸透を両立させるという意味でその限りでは合理的ともいえる内容であるが、右内容は、そもそも前述のように被害者が熟睡していたため逃げ遅れた可能性が高いとの推認と決定的に矛盾するのみならず、その内容それ自体についても以下(3)に検討するような客観的証拠との矛盾があり、信用性に疑いを容れる余地がある。

そうするとこのように変遷するはずのない事実についての供述が変わっているのは、被害者が被告人を目撃していると供述しているが結局逃げ遅れている事実、他方布団、被害者の着衣に灯油が相当かかっている事実をどう結びつけるかの点について、捜査官自身が疑問を感じ、あれこれ質問をするのに対し被告人がその都度適当な方法を供述し、捜査官から訂正を求められるやまた供述を変えるという、迎合的供述であるとの疑いが濃厚である。

(3)  自白内容と客観的証拠との矛盾

イ ポリ容器の位置との矛盾

原判決は、被告人は前記自白の中で終始灯油の残ったポリ容器を投げつけたと供述しているところ、ポリ容器は最後に被告人が立っていたとされる六畳間内の襖の前付近で溶解して残っていたのは不自然であると説示するのに対し、所論は、消火活動によるポリ容器の位置変化の可能性あるいは投げつけた物がなんらかの原因で犯人の近くに戻った可能性がある、と主張するのである。

しかしながら、前記実況見分調書、原因調査報告書によれば、右灯油臭のするポリ容器らしいものの溶解物の下には衣服の焼け残りが付着し、周りの畳が焼けているのにポリ容器の下の畳は焼けていなかったことが明らかであるから、右ポリ容器は消火前から同じ位置にあったと考えざるを得ない。またポリ容器を投げつけたため残りの灯油が布団や被害者にかかったかもしれない、との被告人の供述(前記一月六日付供述調書)を前提とするかぎり、ベッド方向に投げつけた物が元に戻り、あるいは犯人の足元に落ちたという可能性も低いといわざるを得ない。

唯一の可能性として、被害者が被告人に向けて投げ戻したことが考えられるが、溶解物には明らかな灯油臭が残っていたのであるから、ポリ容器には灯油が残留していたと考えるのが合理的であるところ、被害者が投げ戻したとすると、被告人の着衣等にかなりの灯油飛沫がかかった蓋然性が高いと考えざるを得ない。しかし、後記ロにおいて検討するように、その可能性は低く、したがって被害者が投げ戻したと考えることも合理的な推定とはいえない。

以上によれば、ポリ容器をベッド上の被害者に投げつけたとの被告人の自白内容には疑問が残ると考えられる。

ロ 自白内容と被告人の着衣等との矛盾

原判決は、原審における検証の結果、すなわち被告人と体格の似た女性に同種のポリ容器から着色灯油を約二メートル離れた模型ベツドに向けて振りかける実験によれば、振りかけた本人の着衣に、灯油飛沫がかかり、その痕跡及び灯油臭が一日以上残るとの結果であったのに対し、本件発生の当日に逮捕された被告人の着衣等に対する鑑定結果によれば、灯油臭、灯油成分が全く検出されなかったことを根拠に、被告人の自白が不合理であると指摘しているところ、所論は、灯油飛沫がかかるかどうかは、掛け方如何によるし、飛沫や灯油の量がきわめて少ない場合には、時間的経過によって検出限界以下になることもあるから、被告人の着衣等から検出されなかったからといって、被告人が灯油をかけていない、と断定することはできないと主張する。

所論にかんがみ、当審において、再度被告人の自白の信用性を検討するため被告人が着ていたと考えられる着衣と靴の材質に近いものを着用した実験者(女性二名)が、約二メートル離れたベッド方向にポリ容器から無着色灯油を振りかける実験を実施し、着衣等に灯油飛沫が付着するか否か、付着した場合にどの程度残留するかについて、飛沫痕と臭いの両面から検討し、他方同様の材質の衣類に灯油飛沫が付着した場合の経時変化と機械的検出限界について、鑑定人横川親雄に鑑定を依頼した。

その結果、所論がいうように、灯油のかけ方によって、実験者の着衣等に飛沫がかかるかどうか、とその分量が左右され、仮に飛沫がかかっても微量である場合は、早期に機械的検出限界以下となることがあるし、他方衣類等から灯油の臭いがないからといって必ずしも微量の灯油付着がなかったとは断定できないことが明らかとなった。

しかしながら、右結果は、ある意味では当然ともいえることであって、むしろ右結果によれば、結局本件において、衣類等に付着する量が多い可能性が高いか否かが重要であると考えられるところ、被告人の最終的な自白によれば、マッチで点火した直後にいきなり被害者が起き出したため逮捕されると思い、二、三回灯油を振りかけたというのであるから、きわめて狼狽した状態であった、と考えるのが自然であり、自分自身に灯油飛沫がかからないように慎重にかけたとは到底考えられないから、被告人の着衣等にかなりの量の灯油飛沫がかかったと考えるほうがより合理的といわなければならない。

しかも原審および当審における検証結果によれば、被告人の自白した方法の範囲内で灯油の振りかけかたを種々変えると、実験者の着衣等に灯油飛沫が多くかかる場合があり、その場合には灯油痕跡と臭いは一日以上残存する可能性があることが認められる。

そうすると、原判決が前述のように被告人の衣類等に灯油が残存していない事実を併せ考慮して被告人の自白内容を疑った点が誤っているとは考えられず、所論は採用できない。

ハ その他の自白内容についての検討

所論は、被告人が本件現場に残されたポリ容器と同様なものを前日の二五日に南河内郡美原町所在の「モン」という店で購入した、と自白したところ、右「モン」においては同日日用品として六一五円の商品が一個販売された証拠が残されており、同様のポリ容器も六一五円であったから、右事実は秘密の暴露に該当し、被告人の自白の信用性を高めていると主張するのであるが、この点については原判決も説示するとおり、「モン」は一日に数百人が出入りするスーパーマーケット形式の雑貨店であり、同店における六一五円の価格の日用品はほかにも数点あり、右六一五円の日用品の売却を示すレシート綴りが本件で用いられたと同様のポリ容器の売却を証明していると断定することも、被告人が同日同店において右ポリ容器を購入したと認定することも困難であって、所論指摘の可能性が自白の信用性を決定づける、いわゆる秘密の暴露に該当するとは到底考えられない。

次に所論は、原判決が原審における前記振りかけ実験の結果によれば、被告人の自白する方法では敷布団全体ことに南半分に灯油がかかる可能性はないのに、敷布団全体に灯油が付着していたとの矛盾を指摘し、自白が信用できないことの論拠としているが、証拠を検討しても、そもそも敷布団全体に灯油がかかっていたとまでは認定できない、そうでないとしても掛け布団を消火に用いて敷布団の上に戻したため敷布団全体に灯油臭が付着した可能性も否定できない、したがって被告人の自白方法と敷布団の状況とは矛盾しない、と主張するので検討するに、前記実況見分調書及び原因調査報告書によっても、布団全体ことに掛け布団に強い灯油臭があったと記載されているのみであり、敷布団については特段の記載がないのであるから、所論の指摘のとおり必ずしも敷布団全体に灯油が付着していたとは考えられず、右の点を前提として、自白の信用性を云々する原判決の説示は相当とはいえないが、すでに前記イ、ロで検討したように被告人の自白する方法自体に、放火犯人の行為として不合理な点があることは変わりないと考えられるから、右点の原判決の誤りは結論に影響しないと認められる。

以上によれば、被告人の自白には客観的証拠との矛盾が認められ、その信用性は乏しいと認められる。

4  情況証拠の信用性に関する所論について

(1)  堺拘置支所におけるBの供述の信用性

原審証人Bは、覚せい剤取締法違反被告事件により堺拘置支所に在監中の昭和六三年一月から三月ころまで被告人と同じ房に入っていた、その時被告人にどのような犯罪で入ってきたかを聞くと、ポリ容器を買ってきて家で灯油を入れて車でもって行って火をつけた、最初は足のほうにかけてライターで火をつけたと言ったが、何日かして本人が目を覚ましたからポリ容器を投げつけて火をつけないで出てきたと変わった、その後、やっていないとか共犯者がいるとか支離滅裂になった、自分の事件はすでに昭和六三年一月二五日に第一審の判決があり控訴中であったが、その当時から、自分の夫の事件に関する取調担当者であった小林検事から被告人の房内の言動について聞かれていた、被告人に対する第一回公判期日(同年二月一六日)の後である三月ころ、被告人の房内の言動についての供述調書を作成した、と述べているところ、所論は右供述は信用できる、というのである。

しかしながら、同証人の供述する被告人の言動は前認定の被告人の捜査官に対する自白内容とその変化、公判廷における否認にほぼ対応しており、思わず第三者に真実を吐露したというより捜査官に対する自白内容をそのまま伝えているのではないかという疑いが濃厚であり、他方同証人が、その当時覚せい剤事件の被告人であったことや当初から検察官と密接な連絡を保っていたことを考慮すると、検察官から聞いた話との混同の可能性も否定できず、いずれにしても同証人の供述内容の信用性はきわめて低いといわざるを得ない。

(2)  その他の情況証拠について

所論は、被告人は以前に被害者と密接な交際をしており、しかも、原判決認定のとおり昭和六三年九月までの記載がある被害者の預金通帳が、本件による被告人の逮捕直前に、被告人が使用していた普通乗用自動車内から発見押収されたのであるから、被告人が同年一〇月ころ被害者方に合鍵を用いて侵入し、被害者と婚約者の写った写真と右通帳を持ち出したという事実は動かし難く、本件当時も被告人が合鍵を所持していた、と推認でき、被告人が犯人であることを裏付けている、と主張するのである。

しかしながら、原判決も指摘するように被害者は手話サークルの事務を担当し、サークル用のコピー機を自室に置いたりしていたため、サークル員の出入りの便宜のため被告人や婚約者以外に合鍵を渡していた可能性がある(現に前記田ノ岡には合鍵を預けていた。)から、被告人が合鍵を所持している事実が本件犯行にただちに結びつくとはいえない。

さらに、仮に被告人の自白どおり被告人が合鍵を用いて被害者宅に侵入したとすると、その後放火し、ポリ容器を投げつけたあと玄関を飛び出し、一旦天理市内の教会駐車場に駐車した自動車内で時間をつぶし、午前九時ころ同所を出発し、帰宅したところ任意出頭を求められ、そのまま逮捕された、というのであるから、いわゆるスピード逮捕の事案であり、被告人の真実の自白があれば右合鍵が発見されると考えるのが自然である。

ところが前記預金通帳のような不利益証拠が残されていたにもかかわらず右合鍵はついにどこからも発見されなかった。

この重要な証拠に関する被告人の供述は、どうしても思い出せない、どこかに落としたと思う、絶対に捨てていない、というのであっていささか不思議というほかはない。

さらに所論は、被告人が被害者を恨んでおり殺害の動機があること、公判廷における弁解の不合理性、本件当日のアリバイが成立しないこと等を指摘して、被告人の犯行と疑うべきであるともいうが、前記2、3で検討した結果によれば、被害者が被告人を見たと考えること、被告人が自白した態様で灯油をまいたと考えることには、多大な疑問があるから、被告人が犯人であると認めるべき主要な証拠がすでに崩れているといわざるを得ず、所論指摘の点は、原判決も説示するようにあくまで疑いがあることを指摘する程度にすぎず、被告人が犯人であると積極的に認定するには無理があると認められる。

四結論

以上検討した結果によれば、本件は捜査官が、被害者の結論のみ明確で具体性に乏しい供述、挙動を、臨死者の供述として過信し、これを動かせないものとして被告人に自白を迫り、客観的な証拠の収集を怠った捜査ではなかったか、との疑いが強く、そのため既述のように基本的証拠である被害者の供述、被告人の捜査段階における自白には解明できない合理的疑問が残り、情況証拠も薄弱な結果となった、といわざるを得ない。

その他所論にかんがみ記録を精査して検討しても原判決には、判決に影響を及ぼすべき事実誤認は認められない。論旨は理由がない。

よって、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官村上保之助 裁判官米田俊昭 裁判官安原浩は転補のため署名押印できない。裁判長裁判官村上保之助)

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